母は昔いつも具合が悪い人だった。
ひどい頭痛持ちで、重い肩こりや吐き気や眩暈や貧血にも見舞われ、よく救急車で病院に運ばれて点滴を受けていた。原因はよくわからなかったらしい。
母は仕事から帰るとほぼ毎日すぐにベッドの中に倒れ込んでいた。「ママ具合悪いから。寝るから」とだけ吐き捨てるように言われた。私は母を起こさないようにただ静かにしていた。
私が母に体の不調を訴えると、第一声が「じゃあ病院行けば?」と面倒くさそうに言われるだけだった。大丈夫?と言われたことはない。だから私は体調不良を我慢するか、自分でどうにかするしかなかった。家の薬箱をあさって、薬のパッケージのまだ読めない漢字を調べながら説明を読み、服薬したり、包帯を巻いたり、クリームを塗ったり、温めたり冷やしたりした。
母がいつも具合が悪い人だったことで損なわれたものはたくさんある。
私は本当に傷ついたし、その傷が癒えることはない。でも、その頃の母がどれだけ過酷な環境にいたか、今なら推し量ることができる。母もまた、傷ついていたのだと思う。(それなら子どもなんか産まなければよかったのに、と思ってしまうが)
そういうことがトラウマになって、私は具合が悪い人が苦手になった。具合が悪いのに自分で良くなろうとしない人。予防をしない人。
誰もなりたくて病気になっているのではない。でも、まずは防ぐための努力をすべきだし、具合が悪くなったなら自分でできる限りのことをするなり、それでもダメなら病院に行くなり、“自分で”すべきだと思ってしまう。病人に対して冷たいし理不尽だと思うけど、私は具合が悪い人に100%優しさだけで接することができない。
今の私には、体調を崩してもすぐに、大丈夫!?と駆けつけて世話をしてくれるパートナーがいる(彼女には100%の優しさしかない)。
それでも、自分自身でどうにかしなくてはという思考は直らない。看病してくれようとする人を頼ることができない。私はもう大人だから、一人でどんな病院に行くことも、どんな薬をもらうこともできる。だがそのせいで、すぐに大量に薬を飲みがちだし(薬物乱用頭痛になった)、体を良くするためのマッサージ機や健康グッズやSNSで話題のサプリなどを安易に買ってしまう(無駄遣い)ところがある。
毎日元気いっぱいな母親がほしかったわけではない。ただ、具合が悪い母を心配させてほしかったし、私を心配してほしかった。
40代後半にレーシックの手術をした途端、母の体調はうそみたいに良くなった。頭痛も肩こりも吐き気も消えた。それ以降救急搬送されたことは一度もない。体調不良の原因がすべて眼から来ていたことに純粋に驚いたし、それ以上に寝込んでいない母が家の中にいることに動揺した。
(私が体調不良を伝えても「病院行けば?」と言われるだけなのは、今でも変わっていない)
今の母はとても元気で、アクティブで、ポジティブで、自分の生活を満喫している。定期的に体の検診も受けて、問題はないようだ。
私はべつにもう、母にそれ以上は望まない。