母の話1

母は昔いつも具合が悪い人だった。
ひどい頭痛持ちで、重い肩こりや吐き気や眩暈や貧血にも見舞われ、よく救急車で病院に運ばれて点滴を受けていた。原因はよくわからなかったらしい。
母は仕事から帰るとほぼ毎日すぐにベッドの中に倒れ込んでいた。「ママ具合悪いから。寝るから」とだけ吐き捨てるように言われた。私は母を起こさないようにただ静かにしていた。

 

私が母に体の不調を訴えると、第一声が「じゃあ病院行けば?」と面倒くさそうに言われるだけだった。大丈夫?と言われたことはない。だから私は体調不良を我慢するか、自分でどうにかするしかなかった。家の薬箱をあさって、薬のパッケージのまだ読めない漢字を調べながら説明を読み、服薬したり、包帯を巻いたり、クリームを塗ったり、温めたり冷やしたりした。

 

母がいつも具合が悪い人だったことで損なわれたものはたくさんある。
私は本当に傷ついたし、その傷が癒えることはない。でも、その頃の母がどれだけ過酷な環境にいたか、今なら推し量ることができる。母もまた、傷ついていたのだと思う。(それなら子どもなんか産まなければよかったのに、と思ってしまうが)

 

そういうことがトラウマになって、私は具合が悪い人が苦手になった。具合が悪いのに自分で良くなろうとしない人。予防をしない人。
誰もなりたくて病気になっているのではない。でも、まずは防ぐための努力をすべきだし、具合が悪くなったなら自分でできる限りのことをするなり、それでもダメなら病院に行くなり、“自分で”すべきだと思ってしまう。病人に対して冷たいし理不尽だと思うけど、私は具合が悪い人に100%優しさだけで接することができない。

 

今の私には、体調を崩してもすぐに、大丈夫!?と駆けつけて世話をしてくれるパートナーがいる(彼女には100%の優しさしかない)。
それでも、自分自身でどうにかしなくてはという思考は直らない。看病してくれようとする人を頼ることができない。私はもう大人だから、一人でどんな病院に行くことも、どんな薬をもらうこともできる。だがそのせいで、すぐに大量に薬を飲みがちだし(薬物乱用頭痛になった)、体を良くするためのマッサージ機や健康グッズやSNSで話題のサプリなどを安易に買ってしまう(無駄遣い)ところがある。

 

毎日元気いっぱいな母親がほしかったわけではない。ただ、具合が悪い母を心配させてほしかったし、私を心配してほしかった。

 

40代後半にレーシックの手術をした途端、母の体調はうそみたいに良くなった。頭痛も肩こりも吐き気も消えた。それ以降救急搬送されたことは一度もない。体調不良の原因がすべて眼から来ていたことに純粋に驚いたし、それ以上に寝込んでいない母が家の中にいることに動揺した。
(私が体調不良を伝えても「病院行けば?」と言われるだけなのは、今でも変わっていない)
今の母はとても元気で、アクティブで、ポジティブで、自分の生活を満喫している。定期的に体の検診も受けて、問題はないようだ。
私はべつにもう、母にそれ以上は望まない。

猫の話2

ペットボトル麦茶の段ボール箱に入れられ、子猫は祖父母の家の離れから私の家に運ばれた。母は車を運転しながら、本当にきちんと世話ができるのかとしきりにこぼしていたが、私は後部座席で段ボール箱の隙間から夢中になって子猫の姿を覗き、名前を考えていた。

自宅に着いてまず、私は子猫を風呂場に連れて行き、温かいシャワーを全身にかけた。子猫の身体からは真っ黒な水が流れ、ところどころでノミが跳ねていた。猫用シャンプーで隅々まで洗い、バスタオルで拭いてからノミ取り薬を身体の数カ所に垂らした。ドライヤーで乾かすと、ふわふわの毛が膨らみ、石鹸の匂いが部屋いっぱいに広がった。

子猫は、エメラルドグリーンの大きな目を持つオスの茶トラだった。

 

麦茶の段ボール箱に入れて運んだことから「ムギ」という名前が付けられた子猫は、すぐに人間を好きになった。懐っこく甘えたがりで、手を焼かせるようないたずらはしなかった。人間に対して怒って噛んだり引っ掻いたりということもなかった。とても優しい猫だった。

茹でたキャベツか菜の花と鰹節を和えたものが大好物だった。鮪も食べた。ハムなどの肉には興味がないようだった。

よくしゃべり、いつも人間の側にいた。私もまたいつも話しかけ、膝の上にのせて身体を撫でた。制服のスカートにたくさんついた抜け毛をいとおしく思った。

ムギはとても大きく成長した。エメラルドグリーンの目は優しく強く美しかった。

猫の話1

その猫は、祖父母の家の離れで見つかった。

離れは一ヶ月に一度、祖母が空気を入れ替えるために玄関や窓を開け放つ以外は、いつも雨戸が閉められ鍵がかかっていた。

庭を散歩していた祖父がどこかから子猫の声が聞こえると言うので、私は辺りを探し、離れの鍵を開け静かに足を踏み入れた。部屋の中は暗くひんやりしていて、雑然と置かれた家具や布団、ビデオテープの山が湿り気を帯びた古い匂いをこもらせていた。

部屋のどこかから確かにか細い子猫の鳴き声がした。私は注意深く家具と家具の間や押入れのすみを懐中電灯で照らした。しばらくすると、祖父がここだと言って私を呼んだ。廊下のカーテンレールの上に小さな茶色の塊があった。子猫は痩せていて、下に落ちまいとカーテンに必死で爪を立てていた。

カーテンの下に目をやると、干からびた蛇かとかげのようなものや何かの小さな骨が落ちていた。親がこれらを狩り、子に与えていたのだろうと祖父は言った。猫の親子は月に一度の空気の入れ替えのタイミングでこの家に入り込み(あるいは母猫がここで出産したのかもしれない)、そして再びのタイミングで運悪く親猫が戻れなくなり子猫だけが残されたのではないかと祖父と私は推測した。

祖父は梯子を持ってきて、その上にあがり、カーテンレールで尻込みしている子猫に手を伸ばした。子猫は恐怖で体を硬くしていて、なかなかそこから動かすことができなかった。